宮澤賢治の「雨ニモマケズ」という詩の中に
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
というフレーズがあります。
この詩の中で宮沢賢治は清貧の生活を表現しているのに、1日に玄米4合は食べ過ぎじゃないかという疑問を持たれる人が多いようです。
昔は今よりもお米をたくさん食べたといっても、4合というのはあまりにも食べ過ぎじゃないか
現代の食生活からは想像しにくいという人も多いかもしれません
では実際には当時の人にとっての玄米4合はどのようなものだったのでしょうか
玄米4合とはどのくらいの食事の量なの
玄米4合はカロリーに直すと2116kcalに当たり、これはお茶碗8杯分のご飯の量になります
朝2杯、昼3杯、夜3杯くらいの量
現代人なら、すごく多く感じるでしょう。
宮沢賢治が雨ニモマケズを発表したのは35歳ぐらいです。
現代の30代男性の1日辺り摂取カロリーは約2250kcalですから、玄米4合で1日の摂取カロリーのほぼ全てがまかなわれてしまうことになり
やはり、食べ過ぎなのでしょうか
昔はご飯が主食だった
昔はご飯が主食だったというと、
「何言ってるの、今でもそうでしょ」という答えが返ってきそうですが
昔は、本当に主食と言えるほどご飯がメインでした。
以前、かなり高齢の農家出身のおじいさんに聞いた話です。
「昔は、食べるものといったらほとんどがご飯で、その他には味噌汁や漬け物に、少しの野菜などがあるだけ」
「魚や肉はお正月やお祭りの時くらいしか食べたことはなかった」
つまり、食事といえば米の飯が大部分で、おかずはご飯を食べるための味付け役でした。
現代のようにおかずに魚や肉が出ることは滅多に無く、
パンや、油なども食事に出ることはほとんどありませんでしたから、カロリーの大部分はお米から摂取するということになります。
となれば玄米4合は普通の30代男性が摂取する量としてはちょうどくらいの量だったとも言えます。
昔は体を使うことが多く、摂取カロリーも多かった
玄米4合の2116kcal+わずかのおかずは現代人からすれば、ごく普通の摂取カロリーだったかもしれませんが
宮沢賢治が「雨ニモマケズ」を発表したのは1931年(昭和6年)です。
当時は、一般の人が自動車に乗ることはほとんど無く、宮沢賢治が住んでいた岩手県であれば、当時、どこへ行くのもほとんど歩いていったと思います。
また、農作業も現代と違い、耕運機やトラクターなどの自動運転の機械もなく、ほとんど全てが手作業の鋤(すき)や鍬(くわ)を使った重労働でした。
しかも朝早くから日が暮れるまで、ずっと重労働の農作業が続きます。
体重65kgの人が1日8時間、肉体労働をすると必要カロリーは約2500kcalですから、基礎代謝分を合わせると4800kcalくらいは必要ということになります。
玄米でいうと9合くらいになります。
おかずなどである程度栄養補給するとしても7~8合ほどはご飯で取る必要があったかもしれません。
因みにスポーツマンが必要とされる摂取カロリーは一般的に言って
マラソン選手 3,300~4300
サッカー選手 3,100~3,700
野球選手 3,400~4,300
ハンドボール 3,400~4,600
単位kcal、男性
私も高校時代野球をやっていましたが、お腹を減らせて帰宅したときにはどんぶり3杯くらいのご飯を一気に食べた記憶があります。
また、戦国時代に合戦の時には兵士1人に対して1日に米を1升支給したといわれています。
江戸時代に男性一人当たり5合支給という話もありますが(おかず代やその他の分も含む?)
平和な時代の武士や奉公人ですから、体を使ってカロリーを大量に消耗するような労働をしていたわけでは無いと思いますので、やはりこのあたりが平均的ご飯の量だったかもしれません
まとめ
宮沢賢治は病弱で「雨ニモマケズ」を執筆していた頃も病床に伏せっていたとも言われますから
重労働に必要なたくさんのご飯を食べる必要は無かったでしょうし、逆に、4合も食べられなかったかもしれません。
もしかしたら、健康になって身体を使って、そのくらいの量のご飯くらいは食べたいという希望もあったのかもしれません。
ということで玄米4合というのは、激しい肉体労働をしない人の普通の食事の量というか
慎ましくも健康で、ごく平凡な生活を送りたいという気持ちが現れたものだったのではないかと思います。
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